Green Life Design

Green Life Design is long life design.

会社紹介・自己紹介

ーGreen Life Designは家族を守ることからはじまったー

息子のアレルギーに悩む日々…。 重度のアトピー性皮膚炎により可愛いほっぺも赤切れて膿んでるところと乾燥しているところと… 。24時間ミトンを欠かさない毎日。 食事、洗剤、衣類、運動… 家内がありとあらゆる工夫を施すも解決には至らなかった。 4〜5歳になる頃には アトピーはだいぶ治まってきたものの、 今度は喘息です。 焚き火の煙や布団のホコリを吸ってしまったり、 ちょっとした気圧の変化でも夜寝る頃には発作が始まってしまう。 夜通し家内が子供の背中を擦ってあげ、仕事に疲れて隣で寝ているダメパパ代表の僕の唯一の役目は 深夜の救急病棟までの運転。 白い煙のステロイドを吸入すると 発作も少し治まって 帰る頃にはようやく眠ることができます。 転機は、僕が3つ目の住宅会社で 『ホウ酸のシロアリ予防工事』の外販部隊を任されることになり 『シックハウス』について学んだことでした。 住宅に化学薬剤や農薬を使うことが どれ程御法度なのか。 それは、我が家の住まい自体が 息子のアレルギーの原因だったのかもしれない?! と気付かされる瞬間でもありました。 『ホウ酸のシロアリ予防工事』が 住まいにとってどれだけ必須であるかを十分理解した一方で、 ホウ酸を採用することで、アレルゲン(アレルギーを引き起こす原因物質)の一つを取り除くことができるが、全てを解決することはできない』という問題に直面しました。 【エアープロット】 1日あたりの空気の摂取量は約20kg 花粉、ハウスダスト、PM2.5、ウィルス… これらを分解・除去できるエアープロットはマスクに施しても問題ないほど安全な程のプラチナチタンガラスコーティング技術。 このエアープロットを施したマスクをすると、発作が酷くならずに眠ることができた 。 更に、エアープロットを自宅に採用し一部屋だけエアープロットを塗らない部屋を残して 息子を寝かせ比べてみると、ハッキリとその違いが… やっぱりこれは本物だ!

代表者 プロフィール

Green Life Designの 赤松武です。

僕自身が今現在どのような人間なのか、また、現在の赤松武が出来上がるまでに、これまでどのような経験をし、どのような出来事があったのかについて、紹介していきたいと思います。これら一つ一つが、現在の赤松武にとって切り捨てることができない大切なピースとなっていると思います。

もしかしたら、そんなことまで書くの?と思われてしまう内容があるかも知れませんが、僕自身に、またGreen Life Designに好意的に興味を抱いて下さっている方だけが読み進めて下さっている、そう信じて書き進めてみたいと思います。ぜひぜひ、該当される方だけ、どうぞ読み進めてみて下さい。。。
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プロフィール

■名前:赤松 武(あかまつ たけし)
■昭和44年5月5日生まれ おうし座 O型
■職業:・Green Life Design株式会社 代表取締役
・アレルギーっ子・元気っ子の会 事務局・健康ライフコーチ
・独自に構築した『Green Life =健康ライフ』というライフスタイルを世に広めていく活動に日々励んでいます。
・ヒプノセラピスト
■趣味:マラソン、登山、シーカヤック、キャンプ、旅行(理想・目標を含みます)
■家族:妻(雪絵)、息子(小4)、黒ラブ(ラブ子14歳)、黒猫(ネロ2歳)
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小中学生の頃

海では深い方から浅い方に向かって泳ぎなさい。

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僕は一般的なごくごく普通のサラリーマン家庭に育ちました。両親と3つ上の姉の4人家族です。普通に地元公立の小学校に通って、普通に地元中学校に通い、普通に育ちました。普通に親戚付き合いがあって、普通に家族旅行に行く。そんな家庭環境でした。
そんな赤松家の父親は、おばあちゃん譲りの心配性で、用心深く用意周到で堅実な人でした。ある日、家族で海水浴に行ったとき、父親に言われた一言が印象的でした。
『たけし!深い方から浅い方に向かって泳ぎなさい!』
息子思いの優しい父親を象徴した印象的な瞬間でした。

・・・これでは冒険心は育めない!と思ったこともありましたが、ところが今僕はその反面教師のような生き方をしています。

 

野球に明け暮れた少年時代

小学生の頃、男の子のスポーツと言えば野球でした。まだ、サッカーというより野球の方が一般的な時代だったと思います。少なくとも、僕の身の回りでサッカーに夢中になっている友達はいませんでした。巨人の星、侍ジャイアンツ、ドカベン、野球狂の詩・・・こんなマンガの影響を強く受け、ジャイアンツの野球帽をかぶって広場で野球をしていました。
小学校三年生になると、地域の少年野球チームに入り、野球に明け暮れた毎日を過ごしていました。ポジションはキャッチャー。キャプテンとして6年生の地区大会では三振に打ち取り、見事優勝!キャッチャーの僕はガッツポーズをしながらマウンドに駆け寄りましたが、なんと、クールなピッチャーだったKくんに抱き合ってもらえず、父兄、監督、コーチが揃って苦笑・・・その後、中学でも野球に夢中になった3年間でした。

 

高校・大学の頃

僕の人生にとっても影響力の大きかったYさんとの出逢い

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目標や夢・・・こんなキーワードとは遠くかけ離れたぼんやりとした毎日を過ごしていました高校3年の秋ころ。
そんなある日、『一日一万円になるバイトしないか?』と友人から。この一言だけで行くことを決めたバイト先・・・。そこは、ツーバイフォー住宅の建設現場でした。そして、そこで出逢ったのがやすらぎさん。藤沢のY住販という工務店の社長で、当時36歳。
卒業までの3ヶ月間に始まり、その後大学生になってからも、もっぱらアルバイトと言えばやすらぎ住販の建設現場でした。サラリーマン家庭に育った普通の僕にしてみると、仕事もプライベートも充実していたやすらぎさんに、男として1人の大人として魅力を感じ興味をもって接していきました。

 

え?こんな仕事までやらせてもらえるんですか?

constraction雑用に始まったこの仕事も、足かけ数年になると、本格的な仕上げ仕事まで任せてもらうようになりました。当時アルバイトだった僕が手掛けさせてもらった仕事は・・・
*ツーバイフォー住宅のフレーミング(ほとんど手組の時代)
*無垢オーク材のフローリング貼り(兎に角堅い木材でした)
*石膏ボード貼り(特に大変でおもしろかったのが複雑な形状の屋根裏部屋)
*窓枠のケーシング取付け(長さを出して、留めに切って隠し釘で設置)
*土間コンクリートのコテ仕上げ
*いろいろな大工さんの手元や職人さんの手伝い

などなど、こんな事まで?って思えることまでやらせてもらいました。何もないところから暮らしを営む【住まい】をカタチにしていく素晴らしさに自分の将来の仕事としての【住まいづくり】というステージがより鮮明になっていきました。

 

サラリーマンの生涯賃金、いくらか知ってるか?

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そんなある日、Yさんに言われた一言です。

サラリーマンの生涯賃金は、どんなにあくせく働いてもせいぜい2億。
男だったら社長になって大きな夢に向かってチャレンジしてみろ!
とてもとても刺激的な一場面でした。この時の会話が全てのスタートラインとなって、住宅業界で独り立ちするイメージが明確になり始めました。

 

法学部出身の自分を工事監督として採用してくれたK工務店

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住宅業界で身を立てよう!そう考えた僕が選んだのは住宅業界に向けた就職活動でした。
今でこそ学生起業家というキーワードを耳にする機会も増えてきましたが、当時はまだまだ。
だったら大きくて成熟し過ぎていない、でも小さすぎない規模の会社に行こう!
文系出身で建築の勉強をしていない自分でも、現場での経験は他の誰にも負けない!
そんな気概で望んだ就職活動。しかも、志望職種は工事監督でした。営業として採用しましょう!というところは数多くありましたが、文系出身の僕を工事監督として採用してくれるところは、唯一木下工務店でした。そして、当然のことながら、木下工務店に就職することを決めます。

 

社会人1年生の頃

工事監督採用は営業所に行く交差研修?

当時のK工務店では、【交差研修】という研修制度を取っていました。つまり、工事監督採用の新入社員は営業所へ、営業採用の新入社員は工事事務所へ仮配属となって三ヶ月間の研修を受けました。自分が携わるフィールドで連携を取るべき反対側の舞台の連中は、いったい日々どんな仕事をしてどんな大変な思いをしているのか・・・、そこを知ることがこの研修の一番の主旨であり、K工務店らしいところでした。

そして、この交差研修が僕の次なるターニングポイントの一つになります。つまり、工事監督採用の僕は、横浜のとある営業所へ仮配属のなったのですが、そこで出逢ったのが、I支店長。
営業の楽しさやお客様とのやり取りの醍醐味、成績に合わせた歩合給制度の魅力などなど、どんどん話が進みます。

そして、会社の中でも営業は花形!売れている営業マンは会社から表彰され招待旅行へ!そんな話に気持が揺らぎ始めました。何もないところから【住まい】をカタチにしていく仕事が工事監督の仕事と理解していましたが、更に源流、つまり、全くの無から産み出す仕事、勝ち取る仕事、君にはむしろ営業の方が向いている。。。

営業一筋の営業部長のI支店長に、いとも簡単にすっかりクロージングされてしまいました。
以来、住宅の営業マンとして四半世紀に渉る僕の人生がスタートしました。

 

売れなかった僕がトップセールスマンに!

かなりの太鼓判を押されながら、社内でも厳しさでは誰もが認める営業所へ本配属となりました。そこで出逢ったのが、T統括所長。始業時間の2時間前から出社し、プランニング(間取りの提案)の演習が続く日々。

営業マンたるもの、一般的な営業活動が十二分にできることは最低ラインであって、
更に、設計任せでなくお客様の要望をカタチにして提案できるスピーディーな営業マンでなくてはいけない!これが、T統括所長の持論でした。
朝早くから夜遅くまで、休みなしで頑張っていましたが、なかなか実績に繋がりません。
焦る思いから笑顔さえ上手く出来ていなかったのか、鏡を見て笑顔で微笑む練習までしました。
そして、念願の初受注。。。それは、新しい年を迎えた頃だったように記憶しています。
4月になり新入社員が仲間入りしたころには、ようやくコツや流れのようなものを掴んでいました。

全くダメダメだった一年目がウソのように、二年目は毎月成績を上げられる営業マンに成長していきました。横浜の東戸塚の展示場です。

認められた誇らしさや嬉しさと、全く新しいことへの不安が、純粋だった当時の僕を、より一層仕事一筋の僕に変えていきました。成績が上がれば上がるほど、仕事以外の楽しみも時間もありません。深夜(時には明け方)に帰宅して、風呂に入って寝て起きて出社する。。。そんな毎日でした。。。

 

営業成績の代償として不健康な日々

営業所長として営業成績が上がると、個人でも営業所でも表彰されます。報奨金もありがたいし嬉しかったことを良く覚えていますが、時間もなければ趣味もない当時の自分にとっては、上司から褒められ我が物顔で社内を闊歩する!そんなことに一番の喜びを感じていました。

慢性的な寝不足と運動不足だけでなく、ハンバーガーやコンビニ弁当、カップラーメンに菓子パンといった、栄養バランスなど全く考えない詰め込むだけの簡単な食事で済ます日々。おまけに一日に平均2箱のたばこを欠かさない、そんな毎日をずっとずっと繰り返していました。

若さ故に何とかやり過ごしていましたが、ある日、何の変哲もない簡単な段差につまずき転んでしまいました。この時ばかりは、自分のカラダがおかしくなり始めているのか?と疑い始めました。無理もありません。入社4年目の26歳にして、汚く太り、頭はてっぺんからハゲ掛かっていました。もちろん、独身彼女なし。

 

とある健康食品に出逢い、大きな大きな方向転換へ

 

健康体になってカラダの仕組みと成立ちが分かった

 

住宅業界へ返り咲き、自然素材の家づくりへ

 

工務店さんや設計事務所の先生に向けた営業へ転身
ホウ酸と出逢うことで、関心はお部屋の空気へ

 

息子のアトピーとぜんそく、原因は空気だった?

 

自分のこれまで家づくりは、合成薬剤と化学物質の家づくりだった?

 

床下に繰り返し散布する合成薬剤が一般的⇒これ、絶対におかしい!

 

ホウ酸で全てを解決することは出来ない!

 

食べ物も空気も大事。全体がもっと大事。

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『次の世代の子供たちのために、今、何を選択すべきか?』
この問い掛けを常に暮らしの中心に据えたライフスタイルを提案をしていきたいと考えています。

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